2012/09/01

高1のときに衝撃を受けた在日韓国人のお話

もう昔の話ですが、高校1〜2年生のときに、「飯森セミナー」という授業がありました。「飯森セミナー」は外部の有名な人や、卒業生が来て、講演をしてくださる、というものだったのですが、正直に告白すると、僕は大体寝てました。すみませんでした。でもほんと、つまらなかったんです。有名人ってねえ、、高校生からしたらただのはげたおっさんですよ。おっさんの話聞いて何が面白いんですか。「飯森セミナー」とは関係ないけど、1番盛大な感じに開催されたのが、高1の秋にあった100周年記念式典(ぼくは旧制から数えて、大阪府立四條畷高等学校の100期生)で、そこで能を見たり、誰やねんこいつっていう東大の教授の話聞かされたりとかするわけです。フツーに爆睡しましたよ。天井に口開けて。


まあ、そんな話は置いておいて、大変つまらなかった飯森セミナーのなかで僕の頭のなかにまだ残ってる話が1つだけあります。在日韓国人でいまは大阪市大で教員をやっているパクさん、という方でした。大阪は在日の方に対する差別が根強かった時期もあり、パクさんも昔壮絶ないじめを受けたそうです。パクさんの講演は、具体的にどういういじめを受けたか、という話がメインで、詳しい話はまったく覚えてませんが、それはもう酷いいじめだ、ということだけ頭に焼き付いています。

ひたすら自分が受けたいじめの話をするパクさん。講演も終わりに差し掛かった頃、パクさんが当時付き合っていた彼女の話になりました。パクさんの彼女は日本人で、日々いじめを受けるパクさんをみて、こう言ったそうです。

「わたしには、あなたが韓国人だろうと、そうでなくても関係ない!」

そう言われたパクさんは、彼女をボコボコに殴って、その後彼女とは別れたそうです。そこまで話した後、パクさんは僕らにこう言いました。

「あのとき、なんでおれが彼女を殴ったか。お前ら考えろ!以上!(パクさん帰る)」

おいおいそこで帰るんかい!と思ったのですが、パクさんはその後本当に速攻で帰ってしまい、そのせいか、「なぜパクさんは彼女を殴ったのか?あなたの考えを述べなさい。」という課題が出ました。


正直、僕にはわかりませんでした。彼女の言葉「わたしには、あなたが韓国人だろうと、そうでなくても関係ない!」は、僕なりに解釈すると「あなたが韓国人とかそんなの関係なくあなたのことを好きよ!」というものだと理解できたし、それなら彼女は一途でいい子じゃん!パクさん殴ることないやん!と思えたからです。

一方で、パクさんは理由もなく(むしゃくしゃしたとか)彼女に手をだす人間でないような気もしました。「彼女いい子パクさん悪い人」「パクさんはそんな悪い人じゃない」の2つの点をひたすら行ったり来たりした後に、ふと気づきました。パクさんが彼女の言葉で気にしたのは、「好きよ!」の部分ではなく「韓国人だろうと、そうでなくても関係ない!」の部分じゃないか。パクさんは大好きな彼女に「韓国人としてのパクさん」を愛してほしかったんじゃないか。


なんとなくですが、僕はそれまでの人生で、愛は必ず、どんなときも国境を超えると思ってました。愛だけじゃなくて、友情も、音楽も。だって、道徳の授業では部落差別の話を教えてもらったけど、要はあの話は、昔はこういう酷い差別もあったけど、これからは全部ナシにして仲良くしようね、ていうのがオチだったから。少なくとも僕はそう理解して、「差別はダメ=みんな同じ人間なんだ!」と思っていた。
僕が小・中と受けてきて、なんとなく真理だと理解していたものが一気に崩れ去った気がしました。今まで僕が正しいと思っていたことは全部そのまま正しいわけじゃないんだ。色んなものがこの瞬間に崩れました。


結局レポートはしれっと出さなかったのですが(笑)、完全にではないけどあれから僕は少しずつ、今まで信じてきた世の中の「前提」というものを「本当にそうなの?」と思うようになった気がします。また、これはもっと少しずつですが、自分がじっくり考えて「これは本当だ」と思ったものを、良くも悪くも繰り返し「ひょっとして本当じゃないんじゃないの?」とも思うようになりました。でも結局、「これだ!」と決めたらそう信じきる性分と、「おいおい本当か?」という疑いが常に頭の中で戦っていて、それがいまの自分の思考の一部を形作っていて、Vi−KingやCAMPHOR-をつくった自分の価値観の原点がここにあるような気もしているので。



さて、後日談ですが、パクさんの講演を企画した先生と飲む機会があり、あの時の終わり方はすごかったですよね〜!という話をすると、先生曰く、

「パクさんあの日予定詰まってて、はよ帰りたかったらしいよ。」

とのことでした(笑)
高1のときに自分の前提をぶち壊してくれた、パクさんのお話。

2012/08/17

ぼくはじいちゃんのことが嫌いだった。

サイトのログインなどで、パスワードを忘れてしまったときに出てくる「好きな食べ物は?」「母の旧姓は?」的な質問がありますよね。まあ、正直に言えばそれとは全然関係ない話なんですが、今日たまたま「祖父の職業は?」という質問が僕の頭の中に浮かんだので、それに答えようと思います。

ぼくのじいちゃんは、服飾デザイナーであり、経営者でした。


祖父もふくめ、祖父の兄弟は広く言えば、みな起業家です。上は私立探偵をやっていて、下は不動産会社を経営し、真ん中のじいちゃんは紳士服をつくってました。そんな具合です。

じいちゃんは3年前、ぼくが大学4回のころに亡くなりました。突然すぎて意味不明でした。ぼくはじいちゃんのことが好きではなかったので、ここしばらく会ってませんでした。そんななかの突然の訃報でした。

言うの2回目ですが、ぼくはじいちゃんが嫌いでした。ほんと自分のことしか考えてないし、自分の言いたいことを言いたいときに言いたいだけ言うし。自分の思い通りにならんとめっちゃキレるし。
ここで、むかしのエピソードを2つほど。

エピソード1:小学2年くらいのころ、弟と一緒に天王寺動物園に連れて行ってもらったが、そのときにジュースを買ってもらった。当時ジュースを買ってもらう機会は滅多になかったので、すごく大切にちびちびと飲んでいたら、「おそい!」と言われ、まだ残ってるのに捨てられたw

エピソード2:高校生のとき、なぜかスナックに連れていかれ、一興としてなんか歌えと言われたので、たしか、コブクロをステージで歌った。ママさんとかは「うまいね!」と褒めてくれたけど、じいちゃんにはボソッと「JPOPはホンマ長いな。」と言われたwけっきょく、じいちゃんばかり歌っていて、ワシうまいやろ的なドヤ顔をするじいちゃんをひたすら褒める会になったw(実際じいちゃんは歌がかなり上手く、三重県ののど自慢で金賞をとるレベル。そんな良い声で「孫」とか歌いやがるわけです。なので余計腹がたった。)

まあ、そんなこんなでじいちゃんは非常にめんどくさい人だし嫌いだ、とぼくは思っていて、じいちゃんに携帯の番号を聞かれてもずっと、携帯持ってないキャラを押し通してました。それくらい避けてました。

そんなじいちゃんが死にました。お葬式です。親戚がやってきます。そして彼らももちろん、じいちゃんに色々やらかされた人たちです。そんなメンバーで集まったお葬式。

そこで、親戚はみんな、じいちゃんが無茶苦茶やったという話をするわけです。じいちゃんは相当ワガママだったので、言ってしまえば1人1エピソードくらいあるわけです。みんなが交互に迷惑を被った話を始める。その話がいちいち面白い。葬式やのに、みんな笑ってました。ひどいじいさんやったでーとか言いながら。ぼくは、そのときふと、うわあ、このじいさんすごい愛されてるな、と思った。ああ、僕が死んでも誰かこんな葬式やってくれるのかなあ、やってくれるといいなあ、と思いました。

死んだら元も子もないのでアレですが、少なくとも、死んだ後にじいちゃんみたいな愛され方(正確には、じいちゃんよりは嫌われない感じでw)をみんなからされていることを想像できる、そんな生き方ができた。死に際にもしそう思えるなら、ぼくの人生はすごく幸せだったと思える気がします。

みんなに笑ってもらえる葬式をやってもらえるか。ぼくの生き方を決めているのは、あの時からずっとこれです。

結局のところ、ぼくはじいちゃんにすごく似ているのだと思います。だからなんかムカつくし、めんどくさいなコイツと思う。

色々あって今年のお盆はお墓参りできなかったので、じいちゃんについて書いてみた。
ワガママでほんと面倒くさくて、でも何だかんだ愛されてた僕のじいちゃんのはなし。

2012/08/09

人に必要とされないということは、実は自分にとって極めて怖いこと。

今日、仕事の関係で、相手の期待を大きく下回るような会議をやってしまったのだけれど、
その後に、誰にも批判されず、心からの賞賛も受けず、つまり広い意味で誰からも全く相手にされない自分、というものをふと垣間見た気がして、一瞬とてつもない虚無感と恐怖感に襲われた。
気取らず、欲しいものは必死に取りに行こう。仕事が出来る人間になりたいと思った。それでいて、1人でひと通りこなせる人間にもなりたいとも思った。仕事が出来ること有りきでそれだなあと思った。有りきと言っても、仕事が出来る云々で満足なんてしたくない。夢もみない。もっとでっかくなる。
以上。

2012/06/16

シンプルなUIとゲーム性の「OLO Game」が面白い。

iTunes StoreのスタッフおすすめになっていたiPhoneアプリ「OLO Game」をプレイしてみました。
有料ゲームで、170円。アイコンはシンプルで、イケてるかと言われると正直普通だし、スクショもあまり印象に残らない。
ごく一般のiPhoneユーザー(の多く)にとって、今やゲームカテゴリのアプリは無料が主流なので、アイコンやディスクリプション、スクショをみただけだと、少しためらっちゃう価格ではありますが。

シンプルすぎるがゆえにハマる、「おはじきゲーム」。

起動すると、こんな感じ。

シンプルすぎて、何をするゲームなのかよく分からないぞ。とりあえず、2人プレイ?を選択してみると、赤と青のボードとボールが出てきた。そして、よくわからんけど、ボールをフリックしたら動いた!

どうやら赤のボールを赤のボードに、青のボードに青のぼーるを置いていき、その数が多い色が勝ち、というゲーム。ゲームを進めていくと、例えばこんな感じになります。

ボード上のボールは他のボールを当てると動くので、変なところに置いてしまった自分のボールを良い感じの場所に移動させるのもよし、相手のボールを蹴落とすのもよし。

両者の持ち玉がなくなったらゲーム終了。自分の色のボードに同じ色のボールがたくさんある人が勝ち。
うん、それ、おはじきですね。

とくに、点が入るところのモーションがいいね。

ゲーム性はシンプルだし、画面レイアウトは無駄なものを配置しないということに徹底してこだわってる。かっこいいなあ。
そのうえ細部のUIにはものすごく気をつかっていて、例えばボールを飛ばしたあと、プレイヤーに点が入ったかどうかをユーザーが容易に判定できるようになっている。
あと、ボールの動きが徐々に減速していき、点が入ったかどうかのモーションに入るスピードをうまい具合に落としていて、「どっちだ!?どっちなんだ!!?」とワクワクドキドキさせられる。

結局かなりやりこんでしまった。公式サイト(http://www.ologame.com/)を見る限り、誰かと一緒にiPhone/iPadを囲んで遊ぶゲームなんだろうけど、いまだに誰とも遊んでいないw
つまり、誰とも遊んでないけど、このアプリ面白いで!とすごく言いたくなったから書いただけですw以上!

OLO game

URL:http://itunes.apple.com/jp/app/olo-game/id529826126?mt=8

OLO game - Sennep

2012/06/02

ぼくは冒険家みたいになりたかった、という昔の話。

この春、大量の本を処分した。たぶん300冊くらいか、それ以上。

それでも手放せなかった本も中にはあって、そのうちの1冊が「人力地球縦断」という本。作者は、九里徳泰さんという冒険家で、今は大学で環境経営の教授をしておられる方。

九里さんの本はこの「人力地球縦断」しか読んだことがないけれど、僕にとってこの本はとても特別なものだったりする。

この本を初めて読んだのは、確か小6か中1のとき。その頃、我が家では夏の家族旅行といえば割とガチな登山(富士山、八ヶ岳、立山、北アルプス縦断など)をすることとほとんど同義で、あと、あまり本は読まなかったものの、植村直己の冒険記とか宇宙の話が好きで、そういう本だけは読んでいた(あと、「山と渓谷」も何故か毎月読んでいたw)。そんな中、父が貸してくれたのが「人力地球縦断」だった。

「人力地球縦断」は、作者の九里さんが北極点から南極点まで人力で移動する旅をしたリアルな体験記だ。「リアル」という言い方をしたのは、九里さんは別にスポンサー付きの冒険家ではなく、自腹で費用を捻出し、冒険をしている人なので、地球を縦断するというとんでもなくお金がかかりそうなこの冒険をするために、原稿を書いてとにかくお金を稼いで限られた中で装備を整えて、冒険の途中で食料がなくなったら友達の家で食料を援助してもらったり、というシーンがきちんと書かれているからだ。言ってしまうと、この地球縦断の旅は途中にお金がなくなって中断して、日本に帰って仕事してまた同じところに戻って、ということもしながら続けていたことも本を読むと分かる。

まあ読んだ人間からすると、マッキンリー登ったりする話とかシーカヤックで海の旅する話とかアツいシーンもあるのだけれど、この本の内容で、ここで取り立てて言うことはとくにはなかったりする。あとは、モンベルの登山用品はマジコスパ高くて最高、とかくらい。そんな話はいまはどうでもいい。



でも、僕は、「人力地球縦断」での九里さんの何ともいえない人間臭い冒険の仕方がすごくカッコいいと思った。

僕は九里さんの冒険家としての評価は知らないし、九里さんみたいな生き方が世間的に見てどうなのか、ということもよく分からない。

それでも、なんでか分からないけれど、九里さんのことがめちゃくちゃカッコいいと思っていて、その思いは全く根拠がないけれど自信があった。


当時の僕には、将来の夢はとくになくて、周りの子は学校の先生とか看護師さんとか大工さんとか夢があって、あと、特定の職業を指す言葉ではないけれどサラリーマンになると言っていた子もいて、じゃあ僕もサラリーマン?いや、それだけは絶対になりたくない。とそこはまたまた根拠がないけれどそう思っていた。

そんな中、「人力地球縦断」に出会って、九里さんというロールモデルを知って、「あ、ぼく、こういうおっさんになりたかったんだ。こういうおっさんになってもいいんだ。」と、たぶん、すごく腑に落ちたんだと思う。

だからだと思うけれど、中2のとき、将来の夢について学年全員と親御さんの前で作文を読んだんだけど、ぼくは、今やりたいこと別にないけど九里さんみたいなおっさんになって、特定の組織だけに属するのじゃなくとにかく自由に生きたい、と発表した。結局、友達には理解されず、渡邊はどうやらフリーターになりたいらしい、とか登山家になるらしい、とか色々違う解釈をされたw


話を進めると、いわゆる思春期の僕は九里さんみたいな冒険家、みたいな人になりたくて、今はどうかというと、ぼくはやっぱり冒険家みたいな人になりたいのだと思う。


ぼくは今やりたいことがある。

みんなが本当にやりたいことばっかりやってて、お金も仲間もノウハウも自由に手に入って、だからこそバリバリ動いて成功して、手に入れた利益はぜんぶみんなで分配して、それが十分すぎるくらいの量だから、もはや嫌々会社行かなくてもいい世界。ぼくはそういう世界をつくりたい。

なんかすごいでっかくて、道のりはとんでもなく長くて。そもそもレールはないのでどう進めばいいのか誰にも分からないっていう状態。

でも、今やってること、積み上げていることは、1つ1つを手に取って見てみるとすごくシンプルで、それでいて、やっていてワクワクする。


やりたいこと全部やろう。

色んなチームとプロジェクトやって、手に入れたもの全部次のプロジェクトにつぎ込んで、をひたすらくり返そう。

おもろい世界つくろう。



脇道それてそれて、なんか意味分からん話になってしまった。

でも、客観的に見たらアレだけど、こういう振り返りはたまにやると良い。ユンケル並に効く。いや、それ以上かも。

2012/05/26

こんちぇると - 個人的記録 -: Dueというアプリは日々のやるべきことに対する取り組み方を変えるかもしれない、という話。

こんちぇると - 個人的記録 -: Dueというアプリは日々のやるべきことに対する取り組み方を変えるかもしれない、という話。: ここ3ヶ月ほど、「Due」というiPhoneアプリを毎日使っている。 毎日といっても、1日1回ではなく、毎日少なくとも6〜7回は起動している。 「Due」は一言でいえば、リマインダーアプリ。 アプリを起動して、リマインドしたいタスクを記入し、リマインドしてほしい日時を...

Dueというアプリは日々のやるべきことに対する取り組み方を変えるかもしれない、という話。

ここ3ヶ月ほど、「Due」というiPhoneアプリを毎日使っている。 毎日といっても、1日1回ではなく、毎日少なくとも6〜7回は起動している。
「Due」は一言でいえば、リマインダーアプリ。 アプリを起動して、リマインドしたいタスクを記入し、リマインドしてほしい日時を記入する。あとは、その時間になればDueが、自分は何をするべきか教えてくれる。画面はこんな感じ。

リマインドの内容は単発でも定期的なものでもOK。定期タスクの場合は、毎日・毎週・毎月など色々なタイプの設定が可能。いや、当たり前ですよねー、リマインダーアプリだもの。

あと、リマインドの延長も設定可能。元々は9時にやろうと思っていたことを遅らせたい場合に、リマインドの時間を10分・1時間・1日単位で延長できる。あとは、スヌーズ設定ももちろんOK。

他にはないのかって?はい、基本機能はそれだけのアプリです。しかも450円。正直これだけの機能でリマインドだけかよ。いやホントはじめは騙された。。。と思ったんだけど、最近は僕の生活にとって、無くてはならないものになってきている。というか、Dueのおかげで生産性は間違いなく上がったと僕は思っている。

延長させたいタスクは、時刻を再設定してしまうとたぶん二度とやらない。

さっきも書いた通り、Dueでのリマインドの時刻を延長したいときは、10分・1時間・1日単位での延長しかできないようになっている。 一応できないことはないけれど、編集ボタンを押して、そうするとタスクの文言から再設定を求められるので、時刻だけ変えたいときはとにかく面倒くさい。つまり、タスクを延長するときは、今から見て何十分後、何時間後、あるいは何日後という単位で遅らせるUI設計。

これは使うまでは「なんて面倒くさいんだ」と思っていた。しかし、ここで面倒くさいと思う人はおそらく時刻を再設定することによってタスクの延長をする人で、その人が遅らせたタスクを確実に遂行できるかどうかは、そもそも彼が常日頃から自己管理をできているかどうかによっているのではないかと最近は思うようになった。

僕みたいな自己管理のできない人間は、タスクの時刻を再設定したら、もう2度とそのタスクをやらない。あるいは再設定した時刻になったら、もう一度再設定してごまかし、この時間のムダでしかない繰り返しを続けた後に、いつの間にかタスクを消化したことにしてしまうのだと思う。

正直、タスクのリマインド時刻を変更したいときって、結局「いま別のことで手が離せないからもう少しあとでやる」くらいの動機でしかない。じゃあそこは大体、20分後にリマインドとかでよかったりする。あるいは、例えば「手が離せないから」の代わりに「なんかやる気出ないから」とかでもいいと思う。それでもやらなきゃいけないということはわかっているので、30分後とかに遅らせる。

放っておく、ということもできない。スヌーズで1分刻みでずっと鳴り続けるから。そのタスクが終わるまで、Dueはずっとユーザーを追っかけ続ける。

習慣にはなっていないけれど、一旦とりかかるとすでに流れを理解している、普段頭のなかに留めておかなくてもよいことをひたすらDueに覚えさせる

全ての種類のタスクについて、こなすのにDueが有効かどうかは分からないけど、僕は少なくとも、例えば日常的にこなしているタスクをDueに登録すると、全体としてみたときの生産性は格段に上昇すると考えている。

例えば、月に一度誰かにお金を振込むとか。

平日の朝は家を出る前にタンブラーにコーヒーを入れていくとか。

1ヶ月くらい先のある日に服屋のセールがあるとか。


もちろんスケジュール帳にメモするなり、頭の片隅に置いておくなり、色々やり方はあるけど、そろそろこの時期だからお金振り込まないといけないなーということを頭に覚えておくだけで脳の一部をそれに使っているわけで。スケジュール帳も、予定を書くこと自体はDueにメモるのと同等だけど、後日手帳をみて思い出さないといけない。手帳は自分から読まなければなにも教えてくれない。

結局、それって結構もったいない。他のもっと頭を使うタスクに注力できるかもしれない。やり方はわかっているし、些細すぎて書くまでもないような内容。でも、それを敢えて書きだす。何だかんだで、時刻がきても初めはあと10分後!と遅らせたり、めんどくさいから1日後、となるかもしれない。でもやらないと終わらないので結局やる。たぶん、その結果得るものは「習慣」だと思う。


日常の中に、どんどん習慣をつくる。習慣化して、それでも残ったやるべきことは実は本当に時間をかけないといけないこと。

Due、すごいアプリです。まだまだ使いこなせていないんだろうなあ。


最後に。なんでこんな記事を書こうと思ったかというと、最近DueのMacAppが出たからですwめちゃくちゃテンション上がって、速攻買ったw Mac版DueとiPhone版Dueをどう使い分けるか。そして、その上でプロジェクト系のタスクをどう管理しこなしていくか。こっちに関しては最近Omni ForcusというMacAppを使いはじめたので、Dueとの使い分けというのもしっかり理解して使っていきたい。


なんか真面目な話になったw以上。



※参考

iPhone版Due:http://itunes.apple.com/jp/app/due-rimainda-taima-aramu/id390017969?mt=8

Mac版Due:http://itunes.apple.com/jp/app/due/id524373870?mt=12

Mac版OmniForcus:http://itunes.apple.com/jp/app/omnifocus/id402835630?mt=12

2012/05/12

まず作ってみる。そこがスタート。

今日、RucKyGamesさんの本を立ち読みした。



数字的なことは殆ど書いてなくて、企画や開発のフローも殆ど書いてなかった。ていうか、すげー適当なことしか書いてなかったw
でも、すごく心に刺さった言葉があった。それは「自分が遊んでみたいと思い付いたらとにかく作ってみる。どんなにつまらないと思えるものでも誰かしらの心に刺さる。そこがスタート。」というもの。

3年でiPhoneだけで100個近いゲームを出してるRucKyGamesさん。え、それ面白いの?的なよく分からんゲームも出してるけど、このペースはすごい。ここまでやってしまうと、クソゲーも名作も全部ひっくるめてRucKyさんで、もはや何をやってもRuckyGamesというブランドを高めてしまう。またRucKyさんがなんか出したwダウンロードしよ!となる。

僕はRucKyさんの「エスカレベーター」というゲームが1番好きで、そして僕はゲームを作るとき、「エスカレベーター」を常に目標にしている。
http://itunes.apple.com/jp/app/esukarebeta/id458167962?mt=8

「エスカレベーター」は、エスカレーターとエレベーターのイラストや文字を見分けて正しい方をひたすら選ぶゲーム。言ってしまえばしょうもないのだけれど、そもそも企画の段階で題材選びがうますぎるし、ゲームのUIやデザインは一流。

まだ、絶対にかなわない。僕には作れない。
僕はまずここを目指そうと思う。企画も、コーディングも、デザインも、全部僕一人であのレベルで作れるようになろう。

今まで僕は企画をやっていたつもりでいた。
コーディングができる人がいて、デザインができる人が近くにいて、だから僕は企画をやって、彼らが自分たちの専門分野に専念するために、残されたものを担おうと思っていた。

それはそれである意味正しいポジショニングなのかもしれないけれど、最近思うのは、あの頃、結局僕は彼らの邪魔をしていただけなんじゃないか、ということ。

何もできないやつがコード打てやら絵を描けやらうるさく喚いてるだけ。

それじゃ、ダメだ。
コードも少しは書けて、デザインも少しはできる。そのうえで、企画はそれらよりもできる。
幸運にも身近にコードが書ける人がいて、デザインができる人がいて、お互いが一緒にやる意味ややりがいがあるなら、そのときには一緒にやればいい。

ディレクターとして意味のある存在になること。
僕がいるから作れたというものを作るためにディレクターとしての僕が存在すること。

うん、がんばろう。最高に楽しみながら。


それにしてもRucKyさんの新作「ぐんまのやぼう」やばいなー。まじハマるw