2012/06/02

ぼくは冒険家みたいになりたかった、という昔の話。

この春、大量の本を処分した。たぶん300冊くらいか、それ以上。

それでも手放せなかった本も中にはあって、そのうちの1冊が「人力地球縦断」という本。作者は、九里徳泰さんという冒険家で、今は大学で環境経営の教授をしておられる方。

九里さんの本はこの「人力地球縦断」しか読んだことがないけれど、僕にとってこの本はとても特別なものだったりする。

この本を初めて読んだのは、確か小6か中1のとき。その頃、我が家では夏の家族旅行といえば割とガチな登山(富士山、八ヶ岳、立山、北アルプス縦断など)をすることとほとんど同義で、あと、あまり本は読まなかったものの、植村直己の冒険記とか宇宙の話が好きで、そういう本だけは読んでいた(あと、「山と渓谷」も何故か毎月読んでいたw)。そんな中、父が貸してくれたのが「人力地球縦断」だった。

「人力地球縦断」は、作者の九里さんが北極点から南極点まで人力で移動する旅をしたリアルな体験記だ。「リアル」という言い方をしたのは、九里さんは別にスポンサー付きの冒険家ではなく、自腹で費用を捻出し、冒険をしている人なので、地球を縦断するというとんでもなくお金がかかりそうなこの冒険をするために、原稿を書いてとにかくお金を稼いで限られた中で装備を整えて、冒険の途中で食料がなくなったら友達の家で食料を援助してもらったり、というシーンがきちんと書かれているからだ。言ってしまうと、この地球縦断の旅は途中にお金がなくなって中断して、日本に帰って仕事してまた同じところに戻って、ということもしながら続けていたことも本を読むと分かる。

まあ読んだ人間からすると、マッキンリー登ったりする話とかシーカヤックで海の旅する話とかアツいシーンもあるのだけれど、この本の内容で、ここで取り立てて言うことはとくにはなかったりする。あとは、モンベルの登山用品はマジコスパ高くて最高、とかくらい。そんな話はいまはどうでもいい。



でも、僕は、「人力地球縦断」での九里さんの何ともいえない人間臭い冒険の仕方がすごくカッコいいと思った。

僕は九里さんの冒険家としての評価は知らないし、九里さんみたいな生き方が世間的に見てどうなのか、ということもよく分からない。

それでも、なんでか分からないけれど、九里さんのことがめちゃくちゃカッコいいと思っていて、その思いは全く根拠がないけれど自信があった。


当時の僕には、将来の夢はとくになくて、周りの子は学校の先生とか看護師さんとか大工さんとか夢があって、あと、特定の職業を指す言葉ではないけれどサラリーマンになると言っていた子もいて、じゃあ僕もサラリーマン?いや、それだけは絶対になりたくない。とそこはまたまた根拠がないけれどそう思っていた。

そんな中、「人力地球縦断」に出会って、九里さんというロールモデルを知って、「あ、ぼく、こういうおっさんになりたかったんだ。こういうおっさんになってもいいんだ。」と、たぶん、すごく腑に落ちたんだと思う。

だからだと思うけれど、中2のとき、将来の夢について学年全員と親御さんの前で作文を読んだんだけど、ぼくは、今やりたいこと別にないけど九里さんみたいなおっさんになって、特定の組織だけに属するのじゃなくとにかく自由に生きたい、と発表した。結局、友達には理解されず、渡邊はどうやらフリーターになりたいらしい、とか登山家になるらしい、とか色々違う解釈をされたw


話を進めると、いわゆる思春期の僕は九里さんみたいな冒険家、みたいな人になりたくて、今はどうかというと、ぼくはやっぱり冒険家みたいな人になりたいのだと思う。


ぼくは今やりたいことがある。

みんなが本当にやりたいことばっかりやってて、お金も仲間もノウハウも自由に手に入って、だからこそバリバリ動いて成功して、手に入れた利益はぜんぶみんなで分配して、それが十分すぎるくらいの量だから、もはや嫌々会社行かなくてもいい世界。ぼくはそういう世界をつくりたい。

なんかすごいでっかくて、道のりはとんでもなく長くて。そもそもレールはないのでどう進めばいいのか誰にも分からないっていう状態。

でも、今やってること、積み上げていることは、1つ1つを手に取って見てみるとすごくシンプルで、それでいて、やっていてワクワクする。


やりたいこと全部やろう。

色んなチームとプロジェクトやって、手に入れたもの全部次のプロジェクトにつぎ込んで、をひたすらくり返そう。

おもろい世界つくろう。



脇道それてそれて、なんか意味分からん話になってしまった。

でも、客観的に見たらアレだけど、こういう振り返りはたまにやると良い。ユンケル並に効く。いや、それ以上かも。